僕は4か月適応障害で休職している。正直に言うと、人生で何かに取り組んでも「なんか中途半端だな…」って感じることが多くて。そんな時にこの動画のタイトルが目に飛び込んできた。「『やる気』を待つから中途半端で終わる」まさに僕のことじゃないか。気になって仕方なくて、すぐに視聴ボタンを押していた。
僕らがハマっている「やる気の罠」
この動画を見て、僕は目からウロコが落ちる思いだった。きっとあなたも「やる気が出ないから行動できない」って思ったことがあるよね?でも、大愚和尚が語った真実は、僕らの常識を完全にひっくり返すものだった。
「やる気は探すな。行動が『やる気』を生む」という衝撃
動画の中で紹介されていたのは、ある30代の僧侶の悩み相談だった。その人は「フォーエバー小坊主(永遠の修行僧)」と名乗り、自分の人生が中途半端で終わってしまうのではないかと焦っていた。僕も同じような気持ちになることがある。特に休職してから、「このままダメな人間で終わってしまうのかな」って不安になる日々が続いていた。
でも、大愚和尚が教えてくれた第一の秘訣は、僕の考えを変えてくれた。
「やる気があるから行動する」のではなく、「行動するからやる気が生まれる」
暇になると悩んでしまうけれど、悩む暇があるなら読書するか運動した方が確実に良い方向に転がる。それは間違いないと思う。和尚は自分を「飽き性」で、心は「豆腐よりかもろい」と表現していた。僕も本当に飽き性だから、この言葉がめちゃくちゃ刺さった。というか、大愚さんが豆腐メンタルだなんて結構意外だった。
重いリアカーを動かす「最初の一歩」の法則
動画では「荷物を満載したリアカー」の比喩が使われていた。止まっている重いリアカーを動かすのは最初が一番大変だけど、一度車輪が転がり始めれば、慣性の力で楽に進めるようになる。物事の継続も全く同じなんだ。最もエネルギーが必要なのは「始めの一歩」を踏み出す瞬間。やる気がなくても、心が弱くても、まずは行動してみる。
行動自体が、次の行動を促す「やる気」というエネルギーを生み出すんだって。僕がこうしてブログを毎日コツコツ書いているのも、ちょっとした「覚悟」を持って生きようと思ったからで、まさにこの考え方に通じるものがある。
一人では登れない坂を越える方法

動画を見ていて、もう一つ「なるほど!」と思ったのが第二の秘訣だった。人は本気で取り組んでいる人を見ると、自然と手を貸したくなるという話。
「一人で坂を上るな。あなたの『姿勢』が仲間を呼ぶ」
リアカーの比喩は続く。重い荷物を積んで急な坂道に差し掛かった時、一人で歯を食いしばって登り続けるのは本当に大変だ。でも、あなたが「ふう、ふう」と息を切らしながらも懸命にリアカーを引いていると、その姿を見た誰かが「大変でしょう」と後ろから押してくれる。
これって単に頑張れば人が助けてくれるという話じゃない。「姿勢」の源泉にある「覚悟」が人を引きつけるんだ。どのようにするか、ではなく、覚悟が人を引き付ける。これは本当にそうだよなぁ。やっぱりかっこいい人間って覚悟とか顔つきが違うし、本当にかっこいい。
何百年続くお寺が教えてくれること
動画では、小さなお寺が戦乱や災害を越えて存続してきた理由も説明されていた。歴代の住職たちが命がけの「生き様」で、お寺を守ろうともがき続けた。その姿が人々の心を動かし、支えを生み、歴史を紡いできたんだって。本気の姿勢が、一人では登れない坂を越えるための助け手を呼ぶ。これは本当に深い話だと思う。
全てを変える「あり方」の力

でも、動画で一番衝撃的だったのは、これら2つの秘訣の根底にある考え方だった。
「どうやるか」ではなく「どうあるか」
大愚和尚は「フォーエバー小坊主」と自称する僧侶に、まずその自己認識を捨てるよう厳しく命じていた。
フォーエバー小坊主という名前を外しなさい。自分は仏(如来)である、供養を受けるに値する者(応供)であると、心の中で名乗りなさい。
これは単なるポジティブシンキングじゃない。自分がその名にふさわしい存在になるという、凄まじいまでの「覚悟」の表明なんだ。これもなるほどなと思う。やり方はもちろん大切なんだけれども、それ以上に自分の姿勢やあり方が大切なんだな。自分が何者なのかを見定めることって本当に重要なんだ。
釈迦が示した「覚悟」の真意
釈迦牟尼仏自身も「応供(供養を受けるに値する者)」と称していた。それはエゴからではなく、「過去、現在、未来において、私ほど厳しい修行をした者はいない」という、比類なき鍛錬に裏打ちされた事実の宣言だった。空虚な虚勢ではなく、自らが体現する高い基準への絶対的なコミットメント。これが本当の「覚悟」なんだと思う。
僕が今日から変えること

今まで僕は「適応障害で休職中の人」として自分を定義していた。でも、それって「フォーエバー小坊主」と同じじゃないだろうか。自分を卑下するアイデンティティにしがみつくことは、一種の自己破壊行為なんだ。そうじゃなくて、僕がなりたい理想の姿として生き始めること。それが本当の意味での回復への第一歩なのかもしれない。
行動がモメンタムを生み、やる気が後から付いてくる。うん、やっぱりそうなのだ!やる気を出そうとしないで、とっとと行動するのが吉なんだな。
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