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諦めた夢は「最高の材料」だった。4回目の適応障害で気づかされた話

「また適応障害になってしまった…」これで4回目の適応障害。夢を追いかけては挫折し、新しい道を探してはまた挫折する。そんな繰り返しに疲れていた私は、大愚和尚の動画をなんとなく視聴していたのです。大愚和尚から学んだのは、諦めた夢も、適応障害で休職した経験も、未来の自分を作るための「材料」になるという考え方でした。

正直、最初は半信半疑でした。でも動画の内容を自分の人生に重ね合わせてみると、なんだか希望が見えてきたんです。昔の初恋の人のことも、離婚した妻との思い出も、今では辛い記憶ではなく、よき思い出として心に残っている。もしかしたら「失敗」は、新しい物語の「最高の材料」になるかもしれないんです。

目次

実は「固定された自分」なんて、どこにも存在しない

動画を視聴していて一番驚いたのが、「昔の自分」も「今の自分」も、実は存在しないという話でした。え、そうなの?って最初は思ったんですが、説明を聞いて納得できる部分がたくさんあったんです。適応障害を4回も経験している私にとって、この考え方は救いになりました。

体も心も、常に変わり続けている

動画で学んだ「諸法無我(しょほうむが)」という仏教の教えは、万有引力のような世界の法則だそうです。つまり、この世のあらゆるものに、固定された実体はないということ。体について言えば、私たちの細胞は絶えず生まれ変わっています。肌は約28日、筋肉は3ヶ月、骨でさえ7年ですべてが入れ替わる。

物理的に見ても、7年前の私と今の私は、まったく別の存在なんです。心についても同じです。動画では大愚和尚自身のエピソードが紹介されていました。子どもの頃はサッカー選手やカンフーの達人になりたいと本気で思っていたのに、「お坊さんにだけはなりたくない」と強く願っていたそうです。

それなのに、今では幸せな僧侶として生きている。これを聞いて、私自身の変化を振り返ってみました。昔は周りが見えずにマジックに没頭していたあの熱狂的な感情は、確かに今は薄くなっています。でも、その分冷静に自分を見つめられるようになった気がするんです。

失敗も「過去の自分」のもの、今の自分は別人

この考え方が私に与えてくれた最大の救いは、適応障害になった経験への向き合い方が変わったことでした。固定された「自分」が存在しないのであれば、その「失敗」もまた、固定されたものではないんです。適応障害になったのは「過去の自分」であり、今の私は、そこから変化し続けるプロセスそのもの。

「また失敗してしまった」と責めていたけれど、実は違う人間として、新しい挑戦をしていたのかもしれません。

あの頃の熱量は「若さゆえの盲目」でもあった

マジックに夢中になっていた若い頃の、燃えあがるような感覚。でも動画を視聴して学んだのは、その強烈な感覚には「盲目的」な側面もあったということ。これを理解できたとき、なんだか気持ちが楽になったんです。

初恋みたいに美しいけれど、周りが見えなくなる

動画では、夢に向かう高揚感を「燃え上がるような初恋」に例えていました。まさにそうだなって思います。「あれほど好きになった人は、もう二度と現れないかもしれない」と感じる、あの強烈な感覚。その経験は美しく、人生の大きなエネルギーになるけれど、同時に周りが見えなくなりがちですよね。

私が若いころマジックに没頭していた時も、まさにそんな感じでした。練習のことしか考えられなくて、他のことが全然見えていなかった。今思えば、もう少し冷静に自分の可能性を見つめることができていたら、違う道もあったかもしれません。

冷静さを手に入れたのは、成長の証

年齢を重ねるにつれて、あの頃のような熱狂は自然と薄れていきます。でも動画で学んだのは、それは何かを失うことではないということ。代わりに、もっと冷静に、客観的に、そして合理的に自分自身と世界を見つめる力が手に入る。熱量が薄れるのは喪失ではなく、成熟であり、成長の一つの形なんです。

20代前半の熱量を取り戻そうとするのではなく、今の自分が手に入れた新しい視点を肯定的に受け入れることが大切。動画でそう学んでから、昔の自分と今の自分を比較して落ち込むことが少なくなりました。

「諦める」は失敗じゃない。「見切る」という才能だ

動画を視聴していて、この部分で一番心が軽くなりました。だって、私は何度も何度も諦めてきたから。でも、それを「見切りをつける才能」として捉え直すことができたんです。

限界を認識するのも、立派なセンス

大愚和尚は「センス」という言葉で諦めることを捉え直していました。センスには二種類あります。一つは、自分の可能性を見出すセンス。もう一つは、自分の限界を認識するセンス。夢を「諦める」という決断は、決して弱さの表れではないんです。

自分の才能が活かされないと冷静に判断し、新たな可能性へと舵を切る「見切りをつける」のも大切。この考え方を聞いて、嬉しくなりました。私が何度も諦めてきたのは、実は才能だったのかもしれないって。

延々と続けることが美談じゃない理由

動画では、現代は誰もが自分の才能を発信できる時代だからこそ、客観的な評価を受け入れることの大切さも語られていました。全く客観的な評価が得られないというのは、単なる不運ではなく、向き合うべき「データ」なのかもしれません。

データから目を背けて、成功の見込みが薄い道を延々と追い続けることは、「時間」を浪費する危険な選択である。私も若い頃は「諦めずに続けることが美しい」と思っていました。でも今なら分かります。適切なタイミングで見切りをつけることも、人生を豊かにするための重要なスキルなんだって。

バラバラだった経験が「混ぜ合わさって」武器になる

動画で一番感動したのが、これまでの経験が無駄にならないという話でした。マジックも、適応障害の経験も、色んな挫折も、すべてが私の中で「混ぜ合わさって」これからの人生の武器になってくれるかもしれないって思えたんです。

大道芸人がCEOになった驚きのエピソード

動画で紹介されていたエピソードが本当に印象的でした。かつて大道芸人として生きていた男性がいました。彼はストリートで足を止めてくれた観客の表情を読み、アドリブを効かせ、その場の空気に合わせて演目を変える技術を日々磨いていました。その後、彼は大道芸人としての道に見切りをつけ、営業の世界に飛び込みます。

すると、大道芸で培った「相手を読む力」「状況に応じて提案を変える柔軟性」「人を惹きつける見せ方」といったスキルが、営業の現場で驚異的な力を発揮したのです。彼はトップセールスマンになり、やがて三つの会社を経営するCEOにまでなりました。

私の経験も、きっと「混ぜ合わさって」いく

このエピソードを聞いて、私自身の経験についても希望が湧いてきました。マジックで培った表現力、適応障害で学んだメンタルヘルスへの理解、何度も挫折した経験から得た粘り強さ。これらの経験が、これから私が歩む新しい道で、他の誰にも真似できない、私だけの強みとして「混ぜ合わさって」いくはずです。

動画で大愚和尚がこう言っていました。

私がその時その時自分なりにフルベットしてその夢にかけてきたっていうその経験、その時に培ったその道での知識とか技術っていうのは全部この年になってそれが混ぜ混ぜされて、そして昔の私が想像しなかった私がいるんです。

これからの私の人生において、色んな経験が実を結ぶための肥料になってくれたら嬉しいなぁって思います。

絶望は、新しい道が始まる「出発点」だった

適応障害になるたびに自分を呪いたくなる気持ちが湧いてきていました。でも動画を視聴して学んだのは、絶望こそが新しい希望が生まれる「出発点」だということ。この考え方に出会えて、本当によかったです。

「絶望から始まる新しい道」がある

動画で大愚和尚は、絶望から始まる新しい希望、絶望から始まる新しい道があると語っていました。一つの道が閉ざされたとき、私たちはそれを「絶望」と呼びます。目の前が真っ暗になるような感覚。でも、絶望こそが、新しい希望が生まれる「出発点」なんです。

適応障害になったとき、確かに絶望的な気持ちになります。でも、それを出発点として考えてみる。そう思えただけで、なんだか前向きな気持ちになれました。

復職したら、可能性を少しずつ切り開いていきたい

動画で学んだのは、本当の挑戦は絶望の後から始まるということでした。今いる環境の中で、新たな可能性や喜びを見つけ出すこと。仕事の内容が何であれ、自分なりの「創意工夫」を凝らし、「面白さ」を発見し、可能性を切り拓いていく。復職したら、動画で学んだことを思い出しながら、可能性を少しずつ切り開いていきたいなって思います。

適応障害で4回も休職した経験も、きっと何かの役に立つはず。同じような経験をしている人の気持ちが分かるし、メンタルヘルスについて深く考える機会も得られました。

あなたの過去は、未来を作る「最高の材料」

動画を視聴して学んだことをまとめると、諦めた夢は私たちの人生における汚点や失敗の記録ではありません。それは、私たちという人間を形作る、かけがえのない「材料」なんです。私たちの体も心も、常に変わり続けています。20代の私と30代の私は、違っていて当たり前。

変化を受け入れ、過去の経験という材料を使って、昔の自分が想像すらしなかった、新しい自分を創造していく。これからも毎日少しずつ変わっていきたいです。

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