「また月曜日が来てしまう…」日曜日の夕方、理由もなく胸が苦しくなり、明日職場に向かうことを考えただけで涙が溢れてくる。あなたも今、私と同じ気持ちでしょうか。私も全く同じでした。地方公務員として教育委員会で働いていた私は、有給ゼロ・休日出勤当たり前の環境で適応障害を発症。
トイレの個室で一人泣く日々を過ごしていました。「公務員は安定している」と言われるたび、心の奥で「なぜこんなに苦しいの。」と叫びたかったです。でも今、塾長として働く私は、あまりストレスを感じずに仕事できています。あの頃の苦悩が嘘のような充実した日々です。同じ経験をした私だからこそ、あなたの気持ちが痛いほどわかります。
環境が変われば、人生を変えられます。
安定を求めて公務員になった本当の理由

就職活動で迷った末、私は「安定」を求めて公務員を目指ました。公務員試験に合格したとき、「ようやく人並みの生活ができる」と感じていました。しかし、私は膨大な書類を前にして、圧倒されたのです。
就職浪人1年の挫折体験
正直に告白します。私には「人の役に立ちたい」という崇高な理想はありませんでした。大学3年生の就職活動で、どんな職業につくべきか全く分かりませんでした。どの職に就こうか迷っていた時に聞こえてきたのが。「公務員は安定している」という言葉。
教員免許も取得していたし、「公務員は、なんか良さそう」という漠然とした思いで公務員試験を受験しました。大学を卒業後、就職先が決まらないまま1年が過ぎました。同級生たちが社会人として働いている間、私は実家でアルバイトをしながら公務員試験の勉強。正直、惨めでした。

「みんなはスーツを着て働いているのに、なぜ自分だけ…」
でも、「公務員になれば、きっと安定した人生が送れる」と信じていました。合格発表で自分の番号を見つけた時は、安堵の方が大きかったです。「ようやく人並みの生活ができる」と。
教育委員会配属への期待と現実
教員免許を持っていたせいかは分かりませんが、教育委員会に配属されました。配属先に不満があったわけではなく、むしろ教育関係の仕事に期待もしていました。最初の頃は、まだ公務員としての新しい生活に希望を抱いていたのです。前任者は丁寧に業務内容を説明してくれ、必要な資料も整理されていました。
ただ、その文書の量には正直驚きました。1つの事業に対して、企画書や実施要項、予算書などなど…。膨大な書類を目の前にして、私は心の中で震えたのです。
適応障害発症までの経緯と症状


入庁初日からマラソン大会の責任者を任され、300名規模のイベント運営に追われる日々。デスクワーク中心の生活を想像していたが、休日出勤は当たり前、有給取得はゼロ。上司からの厳しい言葉に自信を失い、私は一人で泣きました。
マラソン大会責任者として追い詰められた日々
入庁初日から、いきなり告げられました。「今年の市民マラソン大会の運営責任者として頑張ってね。」新人の私に、なぜ初日から。と思いましたが、理由は単純でした。



「前任者が異動し、他に適当な人がいないから」
マラソン大会運営の過酷な現実
- 参加者300名の受付・コース管理
- 警察や消防、医療機関との連絡調整
- 当日スタッフ80名の配置や指示
- 土曜日はサービス出勤で準備に丸一日
- 日曜日の本番では朝6時から夜18時まで拘束
新人で右も左もわからない中、「責任者」という重圧が心に重くのしかかります。デスクワークが中心の生活を思い描いていましたが、現実は全く違いました。1日の予定を立てても、いきなり声がかかります。



「出張に行ってくれないか?」
「今日は草刈りいくぞ」
自分で時間管理できない環境で、常に後手に回る感覚。「なぜ自分は段取りができないんだろう」と自分を責める日々でした。今でも忘れられない、上司からの言葉があります。ある失敗をした後、課長から言われました。



「本当に仕事ができないな、お前は」
「お前が民間とかいっても通用するわけがない」
上司の言葉は、私の心を傷つけました。既に自信を失っていた私にとっては、決定的な打撃。



「やっぱり自分はダメな人間なんだ」
「他のところに行っても通用しないんだ」
自分を責める毎日が続きました。
有給ゼロ・休日出勤が当たり前の働き方


平日は通常業務、週末は各種イベント手伝い。休む時間が本当にありませんでした。「地域貢献」という名目で、地元の夏祭り、秋の文化祭…ほぼ毎月何かのイベントに駆り出される日常。「公務員なら土日は休めるだろう」と思っていましたが、現実は全く違いました。カレンダー通りに休めた週末は、1年間で数えるほどでした。
信じられないかもしれませんが、退職まで有給休暇を一日も取得できていません。



「忙しい時期だから」
「人手不足だから」
さまざまな理由で、有給申請を出せませんでした。体調が悪くても「気合で乗り切れ」という文化。「公務員なのに休めないなんて、おかしいよ」と思う日々だったのを思い出します。ある日ふと、堪忍袋の緒が切れました。日曜日のサービス出勤で、一人だけ職場にいた時のこと。
周りには誰もいない静まり返った庁舎で、突然涙が溢れてきました。慌ててトイレの個室に駆け込み、声を殺して泣きました。



「なんでこんな辛い思いをしているんだろう」
「みんなは日曜日休んでいるのに」
個室の中で、一人で泣きながら思いました。「このままでは本当に壊れてしまう」
心療内科での診断とカウンセラーとの出会い
心の限界を感じた私は、思い切って心療内科を受診。診察室に入ると、穏やかな表情の男性カウンセラーが迎えてくれました。私は堰を切ったように話しました。マラソン大会のこと、休めない週末のこと、上司の言葉…。カウンセラーは静かに聞いてくださり、最後にはっきりと言いました。



「今すぐ休みましょう。あなたの心と体が限界を訴えています」
この言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けました。



「休んでもいいんだ…良かった」
「適応障害」という診断を受けた時、私は初めて自分を許すことができました。「これは病気なんだ。私が弱いからじゃない。環境が私に合っていないだけなんだ」カウンセラーからは丁寧な説明を受けました。
- 適応障害は環境ストレスが原因で発症する病気
- 適切な環境に変われば症状は改善
- 治療可能であること
「環境が変われば良くなりますよ」という言葉に私は安堵したのを覚えています。
転職活動と新しい人生への転換点


転職活動で悩んだのは、適応障害の経歴をどう伝えるかでした。「仕事ができないと思われるのでは」という不安を抱えながらも、面接で正直に話すことを決意。自分の「弱さ」だと思っていた経験は、「強み」になるのです。
適応障害を開示するか隠すかの葛藤
転職活動で悩んだのは、適応障害の経歴をどう伝えるかでした。



「仕事ができないと思われるのでは。」
「精神的に弱い人だと判断されるのでは。」
上司からの「民間では通用しない」という言葉が頭をよぎり、自信を失っていました。でも、カウンセラーからの言葉を思い出し、話すことを決意。「隠したまま入社するのは、良くないと思う」
面接での正直な告白
現在の職場での面接で、私は包み隠さず話すことに。



「前職の教育委員会で適応障害を発症しました。過重労働と、自分では制御できない業務環境が原因でした。現在は完全に回復していますが、この経験を通じて、自分に適した働き方を理解できています。」
面接官の塾長は、私の話を最後まで聞いてくださり、こう言いました。



「適応障害を経験したからこそ経験があるからこそ、悩みを抱える子どもたちの気持ちがわかるでしょうね。問題ないですよ」
私の「弱さ」だと思っていた経験が、実は「強み」になるのだと気づかされました。
転職成功を支えてくれたサービス
doda:公務員の市場価値を正しく理解
教育委員会での経験(文書作成能力や調整力、責任感)が民間でも評価されることがわかりました。



「適応障害は決してマイナスではない。むしろ、自己管理能力を身につけた証拠」
自己分析をしていく中で、私は適応障害を患ったことをポジティブに受け取れられています。
現在の充実した生活と完全回復


毎日のストレスが軽減され、生徒の成長を間近で見られる喜びに満ちた塾長生活。週休確保や有給取得、業務の裁量権獲得により、適応障害は再発していません。環境ストレス排除や内発的動機、良好な人間関係が、理想的な働き方を支えています。
塾長としての毎日
今の私は、ストレスをあまり感じることがなくなりました。生徒たちの「わかった!」という表情を見る瞬間、保護者の方から「子どもが勉強を楽しんでいます」と言われる瞬間。こういった言葉を聞くたびに、塾長として転職して良かったなと感じます。
教育委員会時代 | 現在(塾長) | |
---|---|---|
朝の気持ち | 憂鬱、行きたくない | 楽しみ、今日も頑張ろう |
週末 | サービス出勤、祭り手伝い | 週休をきちんと取れる |
有給休暇 | 4年間で1日も取得できず | 必要な時に取得できる |
裁量権 | 草刈りまで指示される | 授業内容・経営方針を自分で決定 |
上司の言葉 | 「仕事ができない」 | 「いつもありがとう」 |
成果実感 | 疲れでそれどころではない | 生徒の成長を直接確認 |
適応障害再発ゼロの3つの理由
現在の職場環境では、3つの要素が働きやすさを支えています。環境ストレス要因の根本的排除では、突然の出張や業務変更がなく、週休をきちんと取れる環境が整っています。自分のペースで仕事を進められるため、計画的な業務遂行することが可能です。内発的動機の充足については、子どもたちの成長という明確な目的があります。
感謝の言葉を受けられるため、深いやりがいを感じています。一日の流れも自分で決められるため、創造性と自主性を発揮しながら働けているのが現状です。人間関係においては、人格否定されることがなく、率直なコミュニケーションを行えています。
お互いを尊重できているため、協力的で支援的な職場環境が維持され、全員が安心して働けます。
同じ悩みを抱くあなたへのメッセージ


適応障害は弱さではありません。能力の問題ではなく、環境との相性が大切です。公務員としての辛い経験が、生徒や保護者の気持ちを理解する力になっています。信頼できる人に話し、専門家に相談し、新しい環境を探してみてください。
環境が変われば輝ける
上司から「仕事ができない」と言われた私が、今では塾長として頑張れています。能力の問題だけではなく、環境との相性も大切です。適応障害は決してあなたの弱さではありません。正直に向き合うことで、解決は可能です。適応障害を隠して転職するより、理解ある職場で安心して働く方がずっと良い人生を送れます。
教育委員会での辛い経験があったからこそ、今の私は悩みを抱える生徒や保護者の気持ちがわかります。あなたの経験は、決して無駄にはなりません。
勇気ある一歩を踏み出すために
もしあなたが今、職場のストレスで苦しんでいるなら、下記の対応を行いましょう。
- 信頼できる人に話す
- 心療内科やカウンセリングを受ける
- 転職について情報収集する
有給も取れず、トイレの個室で泣いていた私でも、人生を変えることができました。あなたでも必ずできます。



「自分はダメな人間だ」
「他では通用しない」
自分を責めないでください。環境が変われば、あなたも輝けます。
まとめ:人生は必ず変えられる


有給ゼロ、休日出勤当たり前、人格否定の言葉…そんな地獄のような日々から抜け出せました。教育委員会での辛い経験があったからこそ、今の幸せがあります。当時の私には想像もできませんでしたが、充実した毎日を送れています。自分らしく働ける環境を探してみませんか。適応障害の経験も含めて、すべてがあなたの財産です。
勇気を出して、新しい人生への第一歩を踏み出してください。私は心からあなたを応援しています。
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